★星の家から 6 大同無道 林谷政子 星の家だよりno36より

 星の家で出会った子どもたち。しばらく星の家の子どもでいて、そして出ていった子どもたち。

 

   20歳までには死にたいと言っていたが、発熱しのどの痛みに耐えられず、死にたくないから病院つれてってと言った彼。

   コロナ前だったが、人に見られるのがこわいからと、かぜぎみでもないのに毎日マスクをして仕事にでかけて行ってたのに、近所の八百屋さん、お肉屋さんとあいさつしたり、おしゃべりできるようになった彼女。

   台所で洗い物をしている私に、両足に体重かけて仕事しないと腰、悪くするよ、と言ってくれた彼女。

   中華料理レストランで仕事をしていて、チャーハンはとにかく塩とコショウをきかせる事だ、と作ってくれた彼。

   いちばん好きな本は「星の王子様」と言った彼女。

   突然髪が長くなったのでびっくりする私に、「エクステ」という言葉を教えてくれた彼女。

   本当の父親のルーツを調べ育った町を知りたくて東京まででかけていった彼女。

   なかなか仕事が決まらなくて、ダビングしたテレビを日中一緒に観ていた彼女たち。「あいくるしい」「篤姫」「警察捜査24時」など。

   「自分で育てられないなら、生むんじゃないよ」とはきだすように言った彼や彼女たち。

 

 ほお杖ついて夏のまぶしい青空をながめていると、いろんな顔が思い出される。今、どうしているのかなぁ。

 そんなことを思っていたら、秋になった。9月、無念にも道なかばで逝った星さんの告別式には、星の家から巣立っていった沢山の彼女たちが我が子を連れ、その姿を見せていた。

 幼い頃、親の愛情にすがっても、それに応えてもらえず育った彼女たちが我が子と手をつなぎ、抱き上げ、おしゃべりに耳を傾け、ほうずりする姿をまじかに見せてくれた。星さんは遠くの国からその姿をうれしく見ているに違いない。

 「星の家」の存在。そして「ママと赤ちゃん家」の活動。「貧困の連鎖を断つ」という言葉を実感する場でもあった。星さんの「星の家を巣立っても、けっして見離さない」と言った言葉をかみしめる。

 風が出てきた夕方、窓の外の葉を落としたハナミズキの枝が揺れ始めた。

 やがて、冬の訪れ。

 辛い事があっても耐えられる人になってね。

助け合える仲間に出会えてね。

大丈夫。星の家はいつでも門があいてるよ。